1980-03-19 第91回国会 衆議院 文教委員会 第6号
第一次アメリカ教育使節団報告書が昭和二十一年三月三十一日にあるのですが、その中に「文部省並びに地方庁教育課の職員は、学識には如何に富んでいようとも、教育及び教授に関して、専門的な訓練若しくは経験をほとんど全然持っていない」と認識しており、続きまして「古い型では、教育は天降り式に組織された。その本質的な特徴は官憲主義であった」と指摘しておりました。
第一次アメリカ教育使節団報告書が昭和二十一年三月三十一日にあるのですが、その中に「文部省並びに地方庁教育課の職員は、学識には如何に富んでいようとも、教育及び教授に関して、専門的な訓練若しくは経験をほとんど全然持っていない」と認識しており、続きまして「古い型では、教育は天降り式に組織された。その本質的な特徴は官憲主義であった」と指摘しておりました。
それじゃ国の仕事としてやれよと、こうおっしゃいますと、やはりこの種の仕事は、地元の計画と地元の熱意というものをもとにしませんと、ただ、国が上から天降り式にこうやれああやれと言って押しつけてやるべき性質のものではない、やはり地域開発の基本的な問題でございますので、どこまでも地方自治体を尊重し、地方自治体の考え方をもとにしながら、国がこれに力を入れていくというふうで進めていくべきものじゃないだろうか、かように
こういうような工合に見どころのない、あるいは非常に手数のかかるような、何と申しますか残滓を、税源的には残津のみを与えて、そうしておいて事務は次から次へと昔の通り中央から天降り式に伝っていくような状態では、いつまでたってもこれは地方財政の根本的な育成ということはむずかしいと思うのですが、総理は全問発表せられたそうした行政整理に当りましても、ただいま申し上げました国と地方との事務配分を明確にして、思い切
併しながら私は今日の場合、道義の高揚に必要な徳目はかくかくのものである、こういうことをどつかできめて、そうしてそれを天降り式と申しますか、国民にその線にならえと、こういう筋合のものではない。又そういうことはすべきでない。私はその時代々々における国民の良識によつてこの徳目というものが取捨選択されるものである、かように考えております。
それをそういう機関に諮ることなしに、単なる省令で出すというのはもう戦争前のああいう天降り式などと全然変りないと私は思うのです。そういう文部省の考え方というものに対しては私は疑義を持つのです。そういう点でなぜもつと慎重におやりにならないのか、こういう点をお聞きしておきます。
ただ併しながら今日の時代において要求せられるところの徳目というものはこれこれかくかくのごときものである、これをまあ仮に各方面の権威者と申しますか、そういう人々を集めて評定をしてきめてみましても、いわゆる文部省が官製の徳目、役所がこしらえた徳目として、これを以て天降り式に国民に臨む、そうして新時代における道徳はかくのごときものである、徳目はかくのごときものでなければならん、国民はそれによるべし、若しくはわそれによることを
いわゆる政府が特定の人間を指定して、委員長に定める天降り式の任命をする。こういうあり方は私は好ましくないのじやないかと思う。国会にこの委員の選任に対して同意を求められるというのならば、なお更やはり国家公安委員会と同じような建前のあり方をおとりになつたほうが、適切じやないかと思います。如何ですか。
或いは言換えれば平衡交付金というものの大体の総額があるので、普通平衡交付金の総額から大体この辺があれだというふうに、いわゆる天降り式な大体のやつをおきめになつたのでなかろうかというふうにも思われるので、実際上の費用と平衡交付金で定めている費用と、大体これで地方行政が運営する上に支障ないのかどうか、その辺のところはどういう理由か。
従つて事務を整理縮小いたしまして、それに所要の人員を先ほど積み上げというような言葉で表現いたしたと思いましたが、所要人員を細かく検討いたしましてやりたいという方針の下にやつたことは変りないのでありまして、今お話の中にありました運輸省の官房長の御説明と私どもの言うこととが何か天降り式というようなお言葉をお使いのようでしたけれども、管理庁としては少くともいわゆる天降り的、或いは天引というような考え方を排除
本日は、これまでいわゆる天降り式と申しまするか、一つの確定したようなものが委員会に廻されて参ります関係上、委員会として審議に当ります場合も、非常に何かぎごちないと申しまするか、ゆとりのないような感じを持たれたやに考えられるのであります。
これは今までの戦争前の天降り式講習についてはそういうようなことがあつたかも知れません。戦争中の国家主義を叩き込むやり方にあつては受けさせる者が主体であつたけれども、現在では受ける者の世論というのは非常に重要でこの面を尊重しなければいかん。講習の基本的なものである。そう考えざるを得ない。
地方財政というものが天降り式に納得しなくてもいいのだという考えを以て決して取れるものではないと思うのであります。やはりみんながこの税に対して協力するところの態勢を整えてこそ初めて完全な徴税が行われ、税目標の完璧が期せられるであろうと私はかく信ずるものであります。このようなことからいたしまして、この附加価値税につきましては、全面的に撤回して頂きたい、かように思います。
この点についてむしろやはり天降り式な法律改正、制度の改正、従つて又事大小となく文部当局の指示に従い、或いは他の権威ある者の言葉に盲従し、そして真実の住民の要求というものを考えて運営をしないという傾きがある。この点について今後文部当局は十分にその助言と指導の立場を活用されんことを希望する次第であります。文部当局の一言というものは地方へ行きますると非常に強響くく。
そのために彼はそれを利用しまして、民主運動の長となることを彼自身で向うに折衝しまして、その結果大衆の一致した意見ということで結果にはなりますが、実際は独断的な、即ち天降り式なものであつたのであります。そして彼はその地位を確保いたしました。
それでは次に、第二の條件、すなわち取引條件の改善ということについて、本案はいかようにこれを取扱つておるかと申しますと、まつたくの天降り式で強圧的で、農業者の立場は少しも考えず、政府側の便利のみを考えておるのであります。 そのおもな例をあげてみますと、まず第一に供出量の決定であります。
そうして日本の特殊農業という特性を無視いたしました天降り式の法案であつて、日本の農業には適合しない。こういう二点をまずもつてお尋ねいたします。これが根本でありますから、この根本をひとつお尋ねしたい。こう思うのであります。
また電力の配分についても、合理的な配分方法をとつてもらつて、最近見られるような天降り式な割当を廃して、民主的な割当を実施してもらいたい。そういう機構を政府の方で十分対策を立ててもらいたいというのが、この請願の要旨でございます。先ほど申し上げましたように、單にこれは地方的な要請でなくして、全國的な要請と考えても差支えないというように私どもは考えておるのでございます。
またわれわれの工事の執行には、労力の提供以外に、利益を受ける地元が工事費の一部を負担する場合がありますが、こういう場合においては、殊にこの請願を利用いたしませんと、負担金を天降り式にこれを賦課するというようなことは全然不可能でありますから、非常に結構なことと考えております。
このたびの課税はあるAの税務署においては二億五千万円を徴税せよ、Bの税務署は二億円を徴收せよというような金額が天降り式に地方財務当局から通達されまして、それに基いてこれを割当てて、農家に課税をしたのであるというようなことを聞いたのであります。私はこの事実につきまして、ある税務署の署長についてこれを質しましたところが、その通りであるということを申しました。